◆水鏡天満宮 (すいきょう てんまんぐう) 福岡市中央区天神
2014年2月1日(土)参拝
編集中
▼水鏡天満宮の位置
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▼明治通りの水鏡天満宮正面。アクロス福岡の向かい側に鎮座。
正面鳥居の額束は、福岡出身の第32代総理大臣広田弘毅の小学校時代の書。
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▼天神のビルに囲まれている水鏡天満宮。正面がアクロス福岡
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◆◇◆天神の由来は「水鏡天満宮」
【水鏡天満宮】
九州最大の繁華街福岡市の「天神」の地名は、天神様を祀るこの神社に由来。
建ち並ぶオフィスビルの谷間にひっそりと建つ水鏡天満宮は、 天神様こと学問の神様・菅原道真を祀っている。
菅原道真は京より大宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、今泉にある四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身の憔悴した姿をみて嘆き悲しんだとされ、これにちなんで今泉に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうのてんじん)」「容見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれた。
▼神社は朱色の透塀に囲まれている。
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当初は今泉にあったものを、江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政によって「水鏡天満宮」として福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転された。
▼水鏡天満宮・神門
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▼臥牛像
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▼狛犬(阿形)と鷽の石像
菅原道真が蜂に襲われた時、鷽(うそ)の大群が飛んで来て助かったと言い伝えられている。
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▼狛犬(吽形)
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▼水鏡天満宮の拝殿①
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▼水鏡天満宮の拝殿② 扁額
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▼水鏡天満宮の拝殿③ 豪華な拝殿内部
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▼社内神社 荒木田稲荷神社の鳥居
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▼社内神社 金丸神社(左から大黒社、秋葉社、金刀比羅社、宮地嶽社)
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▼「未知の日々 委ね詣づる 初天神」 小野菁々子
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▼「幾山河 越えて来し野の 涼しさよ」 稲畑汀子
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▼太鼓橋の下の池の錦鯉
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▼水鏡天満宮の色鮮やかな飛び梅
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2014年2月1日(土)参拝
編集中
▼水鏡天満宮の位置

▼明治通りの水鏡天満宮正面。アクロス福岡の向かい側に鎮座。
正面鳥居の額束は、福岡出身の第32代総理大臣広田弘毅の小学校時代の書。

▼天神のビルに囲まれている水鏡天満宮。正面がアクロス福岡

◆◇◆天神の由来は「水鏡天満宮」
【水鏡天満宮】
九州最大の繁華街福岡市の「天神」の地名は、天神様を祀るこの神社に由来。
建ち並ぶオフィスビルの谷間にひっそりと建つ水鏡天満宮は、 天神様こと学問の神様・菅原道真を祀っている。
菅原道真は京より大宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、今泉にある四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身の憔悴した姿をみて嘆き悲しんだとされ、これにちなんで今泉に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうのてんじん)」「容見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれた。
▼神社は朱色の透塀に囲まれている。

当初は今泉にあったものを、江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政によって「水鏡天満宮」として福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転された。
▼水鏡天満宮・神門

▼臥牛像

▼狛犬(阿形)と鷽の石像
菅原道真が蜂に襲われた時、鷽(うそ)の大群が飛んで来て助かったと言い伝えられている。

▼狛犬(吽形)

▼水鏡天満宮の拝殿①

▼水鏡天満宮の拝殿② 扁額

▼水鏡天満宮の拝殿③ 豪華な拝殿内部

▼社内神社 荒木田稲荷神社の鳥居


▼社内神社 金丸神社(左から大黒社、秋葉社、金刀比羅社、宮地嶽社)

▼「未知の日々 委ね詣づる 初天神」 小野菁々子

▼「幾山河 越えて来し野の 涼しさよ」 稲畑汀子

▼太鼓橋の下の池の錦鯉

▼水鏡天満宮の色鮮やかな飛び梅
