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【北野天満宮】

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◆北野天満宮  (きたの てんまんぐう)     久留米市北野町 
2015年2月27日(金)参拝

編集中

午後から久留米市の櫛原天満宮、日吉神社、大善寺玉垂宮、
五穀神社、北野天満宮を参拝。

▼北野天満宮の位置


◆北野天満宮
福岡県久留米市北野町に位置する神社。天喜2年(1054年)の創建。時の関白藤原道隆の孫、貞仙僧正が、京都の北野天満宮より菅原道真公の分霊をこの地に祀ったことが始まり。学問、交通安全などの神として広く知られている。
祭神、菅原道真公ゆかりの花といえば「梅」。御神橋を渡り、朱色に潤色された華麗な桜門をくぐると、玉垣の内に「神梅」が枝を伸ばしている。これは、太宰府の「飛び梅」になぞられたもの。境内には、白梅や紅梅、コスモスなど四季折々の花が咲く。
県の天然記念物に指定されている樹齢900年の大樟もある。
祭神、菅原道真公とカッパについての伝説もあり、その伝説を証明するかのように、現在でも「カッパの手」が天満宮の宝物として大事に保管されているという。


▼北野天満宮の鳥居と神橋

▼北野天満宮の神橋と神池

▼北野天満宮の神橋と神池

▼神橋と神池

▼石の肥前鳥居と参道・・鳥居は慶長12年(1607年)の建造で県文化財。

▼注連柱と華麗な楼門

◆朱の楼門
北野天満宮は天喜2年(1054) 後冷泉天皇の勅令により創建された。

▼北野天満宮の朱の楼門

▼楼門前の阿形の狛犬

▼楼門前の吽形の狛犬

▼北野天満宮の朱の楼門

▼北野天満宮の朱の楼門

▼北野天満宮の朱の楼門

▼北野天満宮の朱の楼門

▼北野天満宮の朱の楼門

▼楼門から眺めた北野天満宮拝殿

▼楼門から眺めた北野天満宮拝殿

◆境内

▼菅公ゆかりの臥牛の撫牛

◆社殿前の金と銀の狛鷽 (うそ)
社殿前にある金と銀の鳥たち(神使)。この鳥は鷽(うそ)で、天神様を祀る神社にいる鳥らしい。
菅原道真公が蜂に襲われた時、鷽(うそ)の大群が飛んで来て助かったと言い伝えられている。
福岡天神の水鏡天満宮の境内にも、鷽の石像がある。

▼金の狛鷽

▼銀の狛鷽

◆◇◆北野天満宮・拝殿
【祭神】
・菅原道真 ・高良玉垂大神 ・住吉大神

【由緒】
北野天満宮は、菅原道真公を祀った神社で、その創立は、天喜二年後冷泉天皇の御感夢により当地を選び、関白藤原道隆の孫貞仙僧上に勅して、宝殿九間に五間、拝殿十一間に九間の社殿を造営され、社殿の廻りには、七千五ケ所の末社と二十八ケ所の社寺家があり、領田は一千町歩に及び、京都北野天満宮の代官所として華麗を誘った。
 その後源平の争乱で社殿は破壊されたが、源頼義、頼朝が社殿を寄進し、足利義満の代になると筑後一円を荘園として認められ、この地方の人々には年貢、兵役、人夫等の課税を免ぜられる。
 戦国時代、兵火に見まわれ社殿は全焼したが、永正五年山本郡吉永の城主藤原重永によって再建された。
その後天正十五年豊臣秀吉九州征伐の時、一時社領は没収されたが、承応三年(一六五四年)久留米藩主有馬瓊林が社殿を改築し、明和年間楼門が潤色され池や橋の造営により、今日の天満宮の景観ができた。以来、学業成就並びにひきつけふうじの祈願所として近郷からの参詣者が絶えなかった。
 現在、神社の境内には、樹齢九百年の大楠(天然記念物)が茂り、慶長鳥居(県文化財)が古色蒼然たる趣きを添え、江戸時代に寄進された、撫牛、灯篭、鳥居、狛犬等立並び、信仰厚かった往時が偲ばれる。又鰐口、天満縁起三巻(県文化財)及び、足利義満将軍の御教書を始め、南北朝時代から江戸時代中期にかけての古文書、後陽成天皇の御真筆、書画等が現在保存されている。
 毎年執り行なわれる十月の御神幸祭の行列(県文化財)は、古い伝統を誇り人のよく知るところである。

▼北野天満宮・拝殿

▼北野天満宮・拝殿



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