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【鹿児島縣護国神社】幕末以来七万七千余柱の御英霊を祀る

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【鹿児島縣護国神社】          鹿児島県鹿児島市草牟田
                                     2014年3月11日参拝
▼鹿児島縣護国神社

明治維新以降の国事に殉じた鹿児島県出身の英霊や、殉職した自衛官、警察官、消防士等77,000柱余を祀る。

明治元年(1868年)、明治天皇から与えられた鳥羽・伏見の戦いの戦死者を祀るための金500両により創建された靖献霊社(いさたまれいしゃ)に始まる。当初は照国神社の右手横(現在の戊辰駐車場)に鎮座していた。明治8年に鹿児島招魂社に改称、昭和14年(1939年)に鹿児島県護国神社に改称した。戦後の昭和22年(1947年)、軍国主義施設として廃止されるのを免れるため、薩隅頌徳神社(さつぐうしょうとくじんじゃ)に改称し、翌23年に現在地に遷座、同26年に現社名に復した。

【由緒と御祭神】
鹿児島縣護國神社は、明治元年、戊辰戦争で国家のため一命を落とした勤王忠死の英霊をお祀りせよとの明治天皇様の思召しにより金五百両御下賜され、当時の藩主島津忠義公が鹿児島県山之口馬場町に建てられた靖献霊社に始まります。その後明治七年、官祭鹿児島招魂社となり、昭和十四年鹿児島縣護國神社に改称、内務省指定神社となりました。

御祭神は、現在七万七千余柱で本県出身の縁のある幕末以来国難に際し尊い生命を祖国の為に捧げられた方々ならびに自衛官、警察官、消防関係者でその職務中に殉ぜられた方々をお祀りされています。 当神社の御祭神は、『護國の神、平和繁栄の神』として、私たちの最も身近な関係の深い神々といえます。

【御祭神柱数】
○縁ある主な戦役事変と御祭神柱数
●安政の大獄 2柱  ●竹橋事変 1柱  ●桜田門の変 2柱  ●朝鮮事変 4柱
●寺田屋の変 15柱 ●朝鮮動乱 3柱  ●禁門(蛤御門)の変 7柱  ●生野銀山義挙 1柱
●明治23年事変(北清事変) 4柱 ●日清戦争 312柱  ●薩英戦争 5柱  
●日露戦争 1,835柱  ●筑波山義挙 1柱 ●第一次世界大戦 60柱
●三田薩摩藩邸焼討事件 42柱  ●台湾治安維持関係 108柱  ●戊辰の役 631柱 
● 満州事変 3,213柱  ●佐賀の役 14柱  ●支那事変及び大東亜戦争 70,836柱  
●台湾の役 4柱  ●警察官殉職者 52柱 ●熊本の変 6柱  ●消防士殉職者 94柱  
●西南の役 243柱  ●自衛官殉職者 105柱
                    総計77,600柱(平成21年6月現在)

【鹿児島縣護国神社境内の碑】
鹿児島縣誠心会“慰霊碑”/あヽ特攻像/母の像/航空母艦“加賀戦歿者慰霊碑”/一四五聯隊記念の碑/台湾歩兵第一連隊慰霊之碑/鹿児島県満蒙開拓之碑“拓魂”/ 海軍甲種飛行予科練習生_鹿児島県出身戦没者慰霊碑/消防殉職者之碑/鹿児島縣殉職警察官之碑/硫黄島の碑/筆の碑/

▼鹿児島縣護国神社の銅製鳥居

▼手水舎の龍

▼社務所

▼参道の石段と護国神社・拝殿

▼長い口髭の阿形の狛犬

▼長い口髭の吽形の狛犬

▼入母屋造り千鳥破風付きの大きな拝殿

▼千鳥破風付きの拝殿

▼祈願の絵馬

▼母の像

▼あヽ特攻像


【枚聞神社】 山幸彦が訪れた「龍宮」で海神豊玉彦の宮地の伝承

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【枚聞神社】 (ひらきき神社)         鹿児島県指宿市開聞十町
                         2014年3月11日参拝
編集中

▼枚聞神社

薩摩富士と呼ばれる開聞岳(922m)の北麓にあり、開聞岳を遥拝する。
開聞岳山頂には奥宮にあたる御嶽神社がある。創建年代は不明だが、『延喜式』に見える古社。
九州最大の淡水湖・池田湖との中間辺り、28号線に面して鎮座している薩摩国一宮。
(因みに薩摩川内市・新田神社も「薩摩国一宮」を名乗っている。)

天照大神の別名ともされる大日靈命(オオヒルメムチノミコト)を祭神としているが、
竜宮伝説のなかでこの地は山幸彦=彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト)が訪れた龍宮であり、海神・豊玉彦命の宮であったとし豊玉姫を祀るとする説もある。

◆彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト)
神武天皇の祖父。
瓊瓊杵尊と木花開耶姫命の三男。
一般には山幸彦(やまさちひこ)(山佐知毘古、やまさちびこ)の名で知られる。
木花開耶姫命が疑いを晴らすために産屋に火をかけて、その火の中で生んだ子の一人。
海神の娘の豊玉姫トヨタマビメ(豊玉毘売)を妻とした。
別名
ホオリのみこと(火遠理命)、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ(たか)ひこほほでみのみこと)、日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)、虚空津日高(そらつひこ)。山幸彦と海幸彦の説話に登場し、一般には山幸彦(やまさちひこ) (山佐知毘古、やまさちびこ)

◆【御祭神】:大日霊貴命(天照大御神)、
配祀:天之忍穗耳命・天之穗日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野樟日命・多紀理毘賣命・狹依毘賣命・多岐都比賣命

【枚聞神社・由緒】
創建の年代は詳らかでないが、社伝には遠く神代の創祀と伝わる。既に貞観2年(860)3月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられているのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事を記され、殊に貞観16年(874)7月には開聞神山の大噴火の状態を太宰府より言上、神意を和むる為勅命により封戸二千を奉られたことを記載してい居る。
 延喜式には薩摩国頴娃郡枚聞神社と枚聞の文字を用いられている。古来薩摩国の一宮、南薩地方一帯の総氏神として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣があり、殊に藩主島津氏入国後はその崇敬は絶大で、正治2年(1200)社殿再興以来、歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、元亀2年(1571)頴娃領主家の内乱により千九百余町の神領を失ったのを、天正20年(1592)9月には島津家より改めて田畠合計二十四町歩を寄進され、旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営んで来たもので、明治4年5月国幣小社に列格され、現在薩摩の国一宮として、又神社本庁所属別表社として地方の崇敬を集めている。

◆鹿児島市から指宿へ走る・・・

◆池田湖と開聞岳
池田湖は薩摩半島南東部に位置する直径3.5キロメートル、周囲約15キロメートルのカルデラ湖であり、九州地方最大の湖である。
開聞岳は鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山。山麓の北東半分が陸地に面しており、南西半分は海に面している。薩摩富士とも称される円錐形の山容は神秘的でとても美しい。
開聞岳は登ってみたい山の1つである。

◆◇◆枚聞神社・鳥居と参道
枚聞神社の社頭。一の鳥居の奥が駐車場になっている。

▼一の鳥居

◆二の鳥居(両部鳥居)と御神木の大楠・・・・奥には開聞岳の姿

▼二の鳥居と左右の御門神社

▼二の鳥居

▼左右の御門神社

◆◇◆勅使殿と東長庁、西長庁
正面には唐破風のついた極彩色の勅使殿(県指定有形文化財)が建ち、左には神符守札所となっている東長庁、右にはおみくじ所となっている西長庁が、翼を広げたような形で建っている。

▼勅使殿と東長庁、西長庁①

▼勅使殿と東長庁、西長庁②

◆勅使殿
天皇より幣帛を授かった勅使を迎える社殿。勅使門が変形したものと伝えられる。
勅使殿は鹿児島地方独特の建物。勅使殿の後ろには、拝殿、幣殿、御本殿が並ぶ。

▼勅使殿

▼勅使殿

▼勅使殿木鼻の狛犬と象

◆◆枚聞神社・拝殿








◆◆枚聞神社・御本殿
入母屋造り・妻入りの御本殿

◆◇◆枚聞神社・境内

【釜蓋神社】 (射楯兵主神社) スサノオを祀るパワースポット

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【釜蓋神社】(かまふた神社)         鹿児島県南九州市頴娃(えい)

各種メディアなどで,「釜蓋(かまふた)神社」と紹介されることが多いが、
正式名称は【射楯兵主神社】(いたて・つわものぬし神社)という。

入り江の岩礁が突き出た所に鎮座する釜蓋神社の御祭神は素盞鳴尊(スサノオノミコト)。
武の神様で厄除け、開運にもご利益があり、芸能人やスポーツ選手も訪れる話題のパワースポット。
なでしこジャパンの沢穂希選手、GK福元美穂選手、そして男子サッカーの中村俊輔選手、プロレスラーの獣神サンダーライガー、そしてなぜか、お釜とオカマをかけたのかIKKOさん・・・のサインまであるという。
 
頭の上に釜の蓋をのせ,境内の鳥居からお賽銭箱まで,落とさずに参拝できたらご利益があると伝えられおり,各界著名人の訪問や昨今のパワースポットブームにより,今最も注目を集めている場所の1つという。
また周辺には,伊能忠敬(いのうただたか)が「天下の絶景」と賞賛した景観を誇る『番所鼻自然公園』や,タツノオトシゴを養殖・展示している『タツノオトシゴハウス』などがある。

【射楯兵主神社・由緒】
竈蓋(釜蓋…かまふた)神社の別名がある。祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)になっており、 高さ30mの石体が御身体となっている。早馬神社(松永)・戸柱神社の合祀。 武の神で有名。享保元年(1716)に社殿が焼けて、次の年、 これを造りかえた。この神社の起こりは、 天智天皇と大宮姫が御領の安東実重(あんどうさねしげ)中将を訪ね、 その接待の為何十石という米を蒸している時突風が吹き、 その釜蓋が吹き飛ばされ大川浦(現在地)に落ちた。 土地の人々は、この釜蓋を拾い神として祀り、名付けて 竈蓋大明神といった。これに素盞鳴尊を配祀して、現在は、 射楯兵主神社という。これが竈蓋神社の起こりといわれるが、 この神社は開聞神社の末で、最も古くから神社があり、 島津光久が寛文7年(1667)修復したという記録もある。 戦時中は武の神様として仰がれ、釜蓋をかぶって参拝すると、 無事に帰って来られるということで、多数の参拝客が訪れた。 (案内板より)
◆射楯兵主神社(釜蓋神社)へ
開聞岳の展望も絶景


▼南九州市頴娃(えい)町ドライブ・マップ


▼一の鳥居



◆◇◆射楯兵主神社(釜蓋神社)


▼射楯兵主神社の鳥居


▼「射楯兵主神社」の神額

▼えんむすび

◆かまふた願掛けかぶり
頭の上に釜の蓋をのせ,境内の鳥居からお賽銭箱まで,落とさずにうまく参拝できたら、「厄除け・開運」のご利益があると伝えられている。

▼願掛けの釜と蓋

▼頭の上に載せる「釜の蓋」

▼射楯兵主神社・本殿

◆寿石

▼寿石①

▼寿石②


▼射楯兵主神社から眺めた開聞岳の雄姿




さて、これから、
「ニニギノミコト上陸地」の碑があり、この地に上陸したニニギノミコトが宮居を定めた場所と伝えられる宮ノ山遺跡もある笠沙岬 (南さつま市、野間半島笠沙地域)へ向かう・・・・

あすからちょっくら中央アジアへ

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あすからちょっくら中央アジアへいってきます。



カザフスタンとキルギスです。

ブログの再開は5月4日頃になると思います。

タブレットで暇つぶし

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今、インチヨン国際空港でカザフスタンのアルマトイ行きのフライトまでの暇つぶしにタブレットの練習中です。
写真を1枚追加します。
まだまだ時間があるので・・
もう1枚追加でーす。

カザフスタンのアルマトイ到着

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カザフスタンのアルマトイに現地時間の10時20分頃に無事到着しました。

これがアルマトイの空港です。ちょっと小雨が降っています。

これがアルマトイのOTRARというホテルです。

▼フロントのラクダくん




部屋はこんな感じです。WIFIフリーです。

今、現地の朝7時20分。今回はPCからのアクセスです。
では、また、今夜にでもレポートします。

カザフスタンのチャリンキャニオン

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今日は朝8時30分ホテルを出発。片道4時間のバス走行でカザフスタンのチャリンキャニオンへ
朝は小雨が降っていたが、次第に天気が回復し、チャリンキャニオンに着く頃には晴天の良い天気になった。
途中冠雪の天山山脈の雄姿も眺めることができた。

▼冠雪の天山山脈



カザフの国立公園のチャリンキャニオンではポレポレと2時間のトレッキング






バスでのランチ...きゅうりが特に美味かった。2本もまるかじりしてしまった。

ホテルには夕方6時30分頃到着。▼今日のホテルでの夕食・・・旅の話でおおいに盛り上がる。

▼カザフのワインとビール

明日は国境を越えてキルギスの首都ビシケクへ向かう予定。

カザフの世界遺産の岩絵とキルギス入国

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4月27日はカザフの世界遺産「タムガリ・タス」の岩絵見学をしたあと、国境を越えキルギスに入国。
夕方7時前にキルギスの首都ビシケクのホテルに無事到着。
天気もよくこの日も天山山脈の姿は美しかった。



カザフの世界遺産「タムガリ・タス」の岩絵見学




キルギスの首都ビシケクのホテル



ホテルでの夕食・・・ワインもメインのビーフも美味い!





今日は市内観光のあと、玄奨三蔵がインドへ赴く途中に立ち寄ったとされる「アク・ベシム遺跡」や「バラサグン遺跡」「プラナの塔」の観光。
そして騎馬ゲームを見学したあとキルギス屈指のリゾート地イシク・クル湖へ向かいます。


キルギスの旅 ビシケクからイシク・クル湖へ

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4月28日キルギスの旅

まずビシケクの国立歴史博物館とアラトー広場での衛兵の交代式を見学



キルギスの騎馬ゲームを見学



プラナの塔

石像

プラナの塔にきていたキルギスの少女

昼食はキルギスの家庭料理





イシク・クル湖畔のホテルKARVENに到着

ホテルのレストランでの夕食





キルギスの旅 雪の天山山脈とイシククル湖と食と酒

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キルギスの旅も無事終了。
今日は国境を越え、キルギスの首都ビシケクからカザフスタンのアルマトイへ
アルマトイの市内観光、民俗音楽ショーを楽しんだあと、夜の便でアルマトイからソウルへ
ソウル市内で昼食のあと、5月3日夕刻に成田へ到着の予定です。

◆雪の天山山脈


▼キルギスの少女ダーシャ


▼鷹狩

◆イシククル湖


▼イシククル湖クルーズ


◆キルギスの食と酒・・・4月29日昼食




◆キルギスの食と酒・・・4月29日夕食









◆キルギスの食と酒・・・4月30日昼食




◆キルギスの食と酒・・・4月30日夕食




◆キルギスの食と酒・・・5月1日昼食
▼お茶のサービスをしてくれた民宿の看板娘








◆キルギスの食と酒・・・5月1日夕食「キルギスでの最後の晩餐」






カザフのアルマトイ観光、ソウルで焼き肉、そして帰国

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5月3日(日)の夜に無事、中央アジアのカザフスタン、キルギスの旅から帰還しました。
詳しくは、いづれぽれぽれとゆっくりレポートしていきたいと思っています。
今回はダイジェスト版ということで、旅の終盤のレポートです。

◆5月2日(金)
キルギスの首都ビシュケクのホテルを出発。国境を越えてカザフスタンのアルマトイへ。
アルマトイの市内観光のあと、レストランで夕食と民俗音楽鑑賞
深夜、アシアナ航空でアルマトイからソウルへ

◆アルマトイ市内のレストランで昼食





◆アルマトイ市内観光







◆外は真夏の陽気、ソフトが美味い!



◆ロープウェイで丘の上の公園へ




◆アルマトイの青春と出会う




◆カザフの民俗音楽を聴きながらの夕食







◆アルマトイからソウルへ


◆5月3日(土)・・ソウル・ミニ観光


◆ソウルで焼き肉と眞露JINROの昼食



◆ソウルから成田へ


成田に17時30分到着。成田19時30分発のJAL便で福岡に21時40分到着。
これでカザフ、キルギスの旅が無事完了しました。

ああ、天山の山々よ・・・イシク・クルよ

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雄大で美しい天山の山々とイシク・クル湖の風景の中から現実に戻れないでいる・・・・
日本の日常に戻るには、もうしばらく時間がかかりそうだ。
ぽれぽれと現実回帰していくしかない。









体調管理の記録 2014年 【5月】

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◆体調管理の記録


2014年 【5月の記録】 

【4月25日(金)~5月3日(土)】 中央アジア(カザフ・キルギス)の旅

【9日(金)】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①内科医院(薬・処方)血液検査・結果良好 ②整体 ③自動車税納付 ④NTTドコモ  

【10日(土)】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
体重 69.75kg   血糖値(朝食前) 118    血圧145/62  脈拍63  
体脂肪率26.1%  内脂肪レベル11 骨格筋率31.1% BMI 24.1 体年齢55


カザフ・キルギス紀行(1) カザフスタンのアルマティ到着

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カザフスタン 2014年4月25日(土)
<カザフ・キルギス紀行> 1日目


4月25日福岡発7時15分のANAで成田へ。成田着が9時10分。
成田空港12時30分発のアシアナ航空OZ・101便でソウル仁川インチョン国際空港へ。
ソウル・インチョン国際空港着が15時。
インチョン国際空港で、今回海外旅行で初持参したタブレットPCで暇つぶしの写真投稿・・・タブレットが役にたった。

▼インチョン国際空港①

▼インチョン国際空港②

▼インチョン国際空港③

ソウル発18時10分のアシアナ航空OZ・577便でカザフスタンのアルマティへ。

▼アシアナ航空OZ・577便の機内食

◆カザフスタンのアルマティ国際空港到着
6時間30分のフライトでアルマティ到着が現地時間21時55分。時差ー3時間。

▼92ヶ国目の訪問国カザフスタン

▼小雨降るアルマティの空港ターミナル

▼空港近くの建物

◆アルマティのホテルOTRARオトゥラル
ホテルOTRARオトゥラルは28人のパンフィロフ戦士公園の向かいにある、大きな旧国営旅行社系の4つ星高級ホテル。
部屋の中でもWiFiフリーでネットにアクセスできる。

▼ホテルOTRARオトゥラル①

▼ホテルOTRARオトゥラル②

▼ホテルOTRARオトゥラル③

▼ホテル・ロビーの天井

▼フロントのらくだ君




▼ホテルOTRARオトゥラルの部屋①

▼ホテルOTRARオトゥラルの部屋②


カザフ・キルギス紀行(2) チャリンキャニオンへ走る

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カザフスタン 2014年4月26日(日)
<カザフ・キルギス紀行> 2日目

編集中

ホテルを8時30分出発。片道4時間のバス走行でカザフスタンのチャリンキャニオンへ
朝は小雨が降っていたが、次第に天気が回復し、チャリンキャニオンに着く頃には晴天の良い天気になった。
途中冠雪の天山山脈の雄姿も眺めることができた。

◆アルマティのホテルOTRARオトゥラル


◆カザフスタンの田舎の風景





◆天気も回復し、天山の山々が見えてきた。



◆チャリンキャニオンが近づいてきた・・・





◆チャリンキャニオンに到着


これから2時間のトレッキングです。

カザフ・キルギス紀行(3) チャリンキャニオン その1

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カザフスタン 2014年4月26日(日)
<カザフ・キルギス紀行> 2日目



◆ホテルを8時30分出発。片道約4時間のバス走行でカザフスタンのチャリンキャニオンへ
アルマティ市街から右手に雪をかぶった天山山脈を見ながら、東に190km行った所に「中央アジアのグランドキャニオン」と呼ばれるチャリンキャニオンがある。

アルマティから車で約4時間程の国立公園内にある広大な渓谷で「ミニ・グランドキャニオン」とも呼ばれている。夏季にはキャニオンの間を流れるチャリン川のほとりでキャンプもできるらしい。

チャリンキャニオンに12時20分頃到着。
これからぽれぽれと往復約2時間弱のゆったりトレッキングで、チャリンキャニオンを散策

◆◆チャリンキャニオン・ミニトレッキング
カザフ観光の人気スポットなのか、大型バスが4、5台駐車している。渓谷の上をトレッキングするグループと渓谷の下のトレッキング・ルートを歩くグループに分かれるようだ。
われわれのグループは渓谷の上をゆっくり歩いていった。その方がチャリンキャニオンの全貌がよく観察できるとのガイドのエルメックさんのアドバイス。 そのエルメックさんの説明をイア・ホーン・ガイドで聞きながらゆっくりチャリンキャニオンをミニ・トレッキングしていった。

▼カザフの有数の観光スポットということで、大型観光バスが数台駐車していた。

▼周りには雄大・壮大な風景が・・・

▼風が少々強く、防寒・防風の装いでトレッキング開始


◆◇◆チャリンキャニオン その1 
渓谷を形成しているのは砂岩の層で、およそ2万年前の地層だという。渓谷の下に流れているのはチャリン川という。
風が少々強くて防寒・防風の装いでトレッキングをしたが、とにかく晴れていて、この雄大な絶景を味わうことができてラッキーだったと思う。
チャリンキャニオン はカザフの観光の中では一番印象に残った風景だった。

写真も沢山撮ったので、「チャリンキャニオンの絶景」をたっぷりアップしていきます。

▼チャリンキャニオン①

▼チャリンキャニオン②

▼チャリンキャニオン③

▼チャリンキャニオン④

▼チャリンキャニオン⑤ 渓谷の底を歩くトレッカー二人・・・渓谷の大きさがわかる。高さは20m~40mあるらしいが、もっと高そうだ。

▼チャリンキャニオン⑥

▼チャリンキャニオン⑦

▼チャリンキャニオン⑧ ここにも2人歩いている姿が・・・小さく見える。

▼チャリンキャニオン⑨

▼チャリンキャニオン⑩

◆チャリンキャニオン Ⅱ
▼チャリンキャニオン①

▼チャリンキャニオン②

▼チャリンキャニオン③

▼チャリンキャニオン④

▼チャリンキャニオン⑤

▼チャリンキャニオン⑥

▼チャリンキャニオン⑦


カザフ・キルギス紀行(4) チャリンキャニオン その2

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カザフスタン 2014年4月26日(日)
<カザフ・キルギス紀行> 2日目



◆ホテルを8時30分出発。片道約4時間のバス走行でカザフスタンのチャリンキャニオンへ
アルマティ市街から右手に雪をかぶった天山山脈を見ながら、東に190km行った国立公園内に「中央アジアのグランドキャニオン」と呼ばれるチャリンキャニオンがある。

◆◇◆チャリンキャニオン その2 
▼チャリンキャニオン①

▼チャリンキャニオン②

▼チャリンキャニオン③

▼チャリンキャニオン④

▼チャリンキャニオン⑤ これは砦ではなく、展望台

▼チャリンキャニオン⑥

▼チャリンキャニオン⑦

▼チャリンキャニオン⑧

▼チャリンキャニオン⑨

▼チャリンキャニオン⑩

◆◇◆チャリンキャニオン その2のⅡ 
▼チャリンキャニオン①

▼チャリンキャニオン②

▼チャリンキャニオン③

▼チャリンキャニオン④

▼チャリンキャニオン⑤

▼チャリンキャニオン⑥

▼チャリンキャニオン⑦

▼チャリンキャニオン⑧

▼チャリンキャニオン⑨

▼チャリンキャニオン⑩


カザフ・キルギス紀行(5) チャリンキャニオン その3

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カザフスタン 2014年4月26日(日)
<カザフ・キルギス紀行> 2日目



◆ホテルを8時30分出発。片道約4時間のバス走行でカザフスタンのチャリンキャニオンへ
アルマティ市街から右手に雪をかぶった天山山脈を見ながら、東に190km行った国立公園内に「中央アジアのグランドキャニオン」と呼ばれるチャリンキャニオンがある。

◆◇◆チャリンキャニオン その3 
▼チャリンキャニオン①

▼チャリンキャニオン②

▼チャリンキャニオン③

▼チャリンキャニオン④

▼チャリンキャニオン⑤

▼チャリンキャニオン⑥

▼チャリンキャニオン⑦

▼チャリンキャニオン⑧

▼チャリンキャニオン⑨

▼チャリンキャニオン⑩

▼チャリンキャニオン⑪

▼チャリンキャニオン⑫


カザフ・キルギス紀行(6) アマルティに帰り、ホテルで夕食

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カザフスタン 2014年4月26日(日)
<カザフ・キルギス紀行> 2日目
編集中


◆チャリンキャニオンからアマルティへ
チャリンキャニオンの約2時間のミニ・トレッキングが終わり、約4時間かけてアマルティへ戻る。
途中、冠雪の天山山脈の雄姿を眺めることができた。

▼冠雪の天山山脈①

▼冠雪の天山山脈②

▼冠雪の天山山脈③

▼冠雪の天山山脈④

▼冠雪の天山山脈⑤

◆アマルティ市内





西へドライヴ、そして 「奔歩狐狸」の鴨南蕎麦と糸島の海

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◆中央アジアのカザフ、キルギスの旅から日本へ帰ってきて10日以上経過したが、いまだ「日本」へ帰ってきた現実感が希薄で、「魂」がどこか空をふわふわ浮遊しているようで、しっくりと地についていない感じだった。

そこで、気分転換に友人を誘って西の方向にドライヴへいくことに・・・・
小戸のヨット・ハーバーに立ち寄ったあと、どんどん西へ・・・

202号線を西に走っていると「「奔歩狐狸」という蕎麦屋さんの看板が目に入り、その蕎麦屋さんの方向へ南へ走った。ところどころにある道案内に沿って走っていって、最後の「そば→」という道案内で・・・なんとか到着。文字通り「そば」にありました。これで「そば」にありつける。


◆◆蕎麦練舎 「奔歩狐狸」(ぽんぽこり)
古民家風の佇まいですが、築80年の女将さんの実家を改装したお店だそうです。

福岡県福岡市西区今宿上ノ原163  ☎092-807-4228

▼営業中でよかった。 月曜日が定休日らしい。

▼「奔歩狐狸」・・・・これで「ぽんぽこり」と読む

▼ついつい、神社の手水舎を連想。

▼厨房の前の暖簾

◆店内の雰囲気
▼玄関を入った正面にある薪ストーブが客人を迎えてくれる。 冬はこの薪ストーブで身も心も温かくなりそうだ。


▼陽の光が射して明るい店内




▼太い梁の通った天井から吊るされた、水車で作られた照明が・・・

▼あら、こんなところに「あらの魚拓」・・・硫黄島、26kg、昭和53年という文字



◆二人とも鴨南蕎麦を注文
信州産の石臼挽きのそば粉を背振の湧き水で練り上げた蕎麦。すべて濃厚な感じでした。

▼このおにぎりは相方さんの注文です。


◆奔歩狐狸の二階へ

▼『これはスズメバチの巣です
 巣の中身は空っぽです ご安心ください』 との張り紙・・・・ハチの巣のオブジェでした。

▼二階から眺めた一階と水車の照明


▼マリリンモンローのようなアインシュタイン。アインシュタインのようなマリリンモンロー 
これは1階のトイレ

◆外はのどかな初夏日和



◆西へ、そして海へ
大入りのフォト・スポットで糸島の海を眺める・・・




◆もっと西へ
福吉の二丈PAの姉子の浜の鳴き砂を眺める・・・






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