◆2月18日(水)
今日は休養日だったので、午後から高速道を走って、
久留米の高良神社、大学稲荷神社、水天宮の参拝にいってきた。
◆高良大社
福岡県久留米市にある。東西30Kmに連なる耳納連山の西の端にある、高良山(312m)の中腹に鎮座。麓からつづら折りの舗装道路が整備されている。
筑後一の宮で、式内名神大社の正一位として古代より地域筆頭の格式を誇り、厄除け、延命長寿で篤い信仰がある。社殿は九州最大級と伝え、国の重文に指定されている。
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◆高良大社の奥宮へ
霊水が湧く聖地、高良大社の奥宮へ。高良大社から歩いて20分ほど。諸願成就の神さまとして民間の信仰が篤く、現在も「寅」の日には多くの参拝があるという。
つつじ公園の少し手前の道沿いに、高良大社奥宮の、木造の一の鳥居が建っている。
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◆大学稲荷神社
筑前・筑後稲荷十社の筆頭といわれ、明和8年(1771)、京都の伏見から勧請された。稲荷神社は、元々穀物の神だったが、その後、商売繁昌の神さまとして「御利益著し」と、庶民に親しまれている。
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◆水天宮
久留米の水天宮は全国水天宮の総本宮である。
創建は、建久年間(1190~99)と伝えられ、平家が壇ノ浦の戦いで破れた後、官女按察使局が筑後川の辺り鷺野ケ原に逃れ来て初めて水天宮を祀ったもので、後、慶安3年(1650)2代藩主有馬忠頼公の時、筑後川に臨む現在地になった。
水にゆかりの社として海運守護神となり河童伝説との結びつきも伝えられ、信心を集め、今は安産の神様として知られている。
また、勤王の志士として後世に名を残した真木和泉はこの水天宮の神官だった。境内には、彼の銅像と幽居した「山梔窩」の摸式家屋がある。
▼社の左手を流れる筑後川
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今日は休養日だったので、午後から高速道を走って、
久留米の高良神社、大学稲荷神社、水天宮の参拝にいってきた。
◆高良大社
福岡県久留米市にある。東西30Kmに連なる耳納連山の西の端にある、高良山(312m)の中腹に鎮座。麓からつづら折りの舗装道路が整備されている。
筑後一の宮で、式内名神大社の正一位として古代より地域筆頭の格式を誇り、厄除け、延命長寿で篤い信仰がある。社殿は九州最大級と伝え、国の重文に指定されている。






◆高良大社の奥宮へ
霊水が湧く聖地、高良大社の奥宮へ。高良大社から歩いて20分ほど。諸願成就の神さまとして民間の信仰が篤く、現在も「寅」の日には多くの参拝があるという。
つつじ公園の少し手前の道沿いに、高良大社奥宮の、木造の一の鳥居が建っている。




◆大学稲荷神社
筑前・筑後稲荷十社の筆頭といわれ、明和8年(1771)、京都の伏見から勧請された。稲荷神社は、元々穀物の神だったが、その後、商売繁昌の神さまとして「御利益著し」と、庶民に親しまれている。



◆水天宮
久留米の水天宮は全国水天宮の総本宮である。
創建は、建久年間(1190~99)と伝えられ、平家が壇ノ浦の戦いで破れた後、官女按察使局が筑後川の辺り鷺野ケ原に逃れ来て初めて水天宮を祀ったもので、後、慶安3年(1650)2代藩主有馬忠頼公の時、筑後川に臨む現在地になった。
水にゆかりの社として海運守護神となり河童伝説との結びつきも伝えられ、信心を集め、今は安産の神様として知られている。
また、勤王の志士として後世に名を残した真木和泉はこの水天宮の神官だった。境内には、彼の銅像と幽居した「山梔窩」の摸式家屋がある。
▼社の左手を流れる筑後川



