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【多賀神社】 伊邪那岐大神・伊邪那美大神の二神を祀る

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【多賀神社】             福岡県直方市直方
編集中

多賀神社は、JR筑豊本線の直方駅から南に約500mの位置にある小高い丘に鎮座している。坂を下がったところに庚申社もある。
丘の上からはJR福北ゆたか線(筑豊本線)が走り直方駅や立ち並ぶ町並みが見える。

◆直方市
直方市は筑豊を構成する自治体の一つで、直鞍地区の中心都市である。飯塚市、田川市と並んで筑豊三都に挙げられる。筑豊で石炭が見つかり、明治時代から昭和30年代までは石炭産業で栄えた。直方は、筑豊地方の石炭の集積地と問屋的な機能の役割を果たしていた。
古くは真言宗の名刹東蓮寺があったので東蓮寺とも呼ばれたが、室町期に兵火で寺は焼失する。
のち、後醍醐天皇の皇子の尊良親王(たかよししんのう / たかながしんのう)が城を築いて少弐氏と戦ったため“皇方(のうがた)”と呼ばれるようになったのが地名の起源と云う。

直方は元大関魁皇の地元でもある。平成13年10月に篠栗駅-黒崎駅間が電化された際には、特急「かいおう」の運行が開始され話題になった。

◆多賀神社・御由緒
壽命の神、鎮魂・厄除の神として有名な多賀神社は、
伊邪那岐大神(男神)と伊邪那美大神(女神)の二柱の神をお祀りしている。
古くは日ノ少宮・日若宮と称之、奈良朝時代には妙見大明神多賀大神と称えたこともある。。元禄5年(1692年)に妙見神社から社名を多賀神社に改めた。

【多賀神社・御由緒】

御祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神

壽命の神多賀大神は、天照大神の御両親にて、御社は古く日の若宮と稱す。奈良朝の養老三年に再建し、天平八年妙見大明神を稱へた。
正平十三年懐良親王願主となり、菊池武光資を献じ、葉室惟言改築す。
黒田藩政の時、長清社殿を南の山上より今の地に遷し、元禄五年宮司青山敏文は禁裡に願ひ、もとの多賀大神に改め、御神馬渡御の御神幸を復興す。
維新後明治三十五年及び正和十四年境内を拡張し、本殿以下を改築す。
春季大祭 四月十三日・十四日・十五日
秋季大祭 十月十三日・十四日・十五日
美しめ縄かけて祈らむ、いと長き、よはひを守る多賀の社に。正三位有功

◆◆鳥居と参道


▼壱の玉乗りの阿形の狛犬

▼壱の玉乗りの吽形の狛犬

▼弐の阿形の狛犬

▼弐の吽形の狛犬

▼神馬

▼臥牛

▼手水舎

◆◆多賀神社・神門







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