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【日向神話】 「天孫族・追憶の旅」 南九州編 ハイライト

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◆4月6日(日)~7日(月)

【日向神話】「天孫族・追憶の旅」南九州編ということで、鹿児島、宮崎、熊本の神社巡りに行ってきました。
6日午前10時出発・・・7日午後9時40分福岡の自宅に帰着。
走行距離888km。アルファGTよく走ってくれます。

階段登りにも慣れてきましたし、天気にも恵まれて充実したいい旅ができました。
今回もスマホのテザリング機能とTOSHIBAのタブレット・PCのコンビが活躍してくれました。
駐車休憩時に車の中でもネットに接続できて、ありがたいものです。

▼阿蘇神社の桜

【4月6日(日)】

◆皇子原神社(宮崎県西諸県郡高原町)
皇子原神社は、霊峰高千穂峰を仰ぐ皇子原公園西の高台に鎮座。
神武天皇 幼少名 狭野尊(さののみこと)がお生まれになった産屋があったところと伝わっている。

▼御祭神 神倭伊波礼天皇(神武天皇・御幼名 狭野尊)

◆止上神社 とがみ神社(鹿児島県霧島市国分)
社記によれば、景行天皇の御宇日向の隼人が叛き天皇親から征伐された時、六所権現の霊神が大鷹となり擁護を加え、怱ち叛賊を平定されたため、その神霊を崇め祭ったという。

▼止上神社・拝殿

◆姫城稲荷神社(鹿児島県霧島市国分姫城)
第105代御奈良天皇の天文年間創建の姫城阿多石鎮座・天之御中主神社と、第119代光格天皇の寛政年間創建の姫城竹下鎮座・貴船神社が洪水流失のため合祀許可され、その後明治45年2月7日第108代御水尾天皇の寛永年間創建の姫城西瓜川原鎮座・稲荷神社が天降川の度重なる洪水浸水のため合祀許可になり、明治45年5月30日社名を稲荷神社と改称、平成9年3月改築、現在に至る。

▼姫城稲荷神社・参道

▼姫城稲荷神社・社殿と日当山(ひなたやま)岩壁。
岩壁の右上方にはに日の丸の旗が揚げられていた。

◆韓国宇豆峯神社 からくに宇豆峯神社 (鹿児島県霧島市国分上井)
「続日本紀」によると、和銅7年(714)、すなわち大隅国設置の翌年に、豊前國から200戸(約5000人)の民が隼人を教導するため移住させている。そのときに、韓国神も移動して建立したものと伝えられている。
「宇佐記」によると、「欽明天皇32年(571)、豊前国宇佐郡菱形地の上小椋山に祭られたのを当地宇豆峯山頂に遷座され、さらに国司の進言により永正元年(1504)、現在の地に奉遷した」との記録がある。

▼韓国宇豆峯神社の鳥居と社殿

▼韓国宇豆峯神社

◆伊邪那岐神社 (鹿児島県霧島市牧園町)
最初、妙見崎に鎮座されていた。その後、今野社地から南西約109mのところに遷座になったが、天正13年(1585)の夜の大雨で社殿が砂石に埋まったので現在地に移したという。
この神社は元は妙見神社と呼ばれていたが、明治の初め、廃仏毀釈神仏分離の趣旨で伊邪那岐神社と称したものと思われる。

▼伊邪那岐神社・参道

▼伊邪那岐神社・拝殿

【4月7日(月)】

◆和気神社 わけ神社 (鹿児島県霧島市牧園町)
祭神である和気清麻呂は、神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮神託事件に関連して大隅国へ遠島となった。後に名誉回復されて京へ戻っている。
嘉永6年(1853年)、鹿児島藩第11代藩主島津斉彬が日向国・大隅国を視察した折に、この地に松を手植えし、側近の八田知紀に命じて和気公の遺跡調査を行わせた。この結果、この地が和気公の配流地であったことが確定した。

▼和気神社の鳥居と参道

▼和気神社の『護王大明神』の御眷属の狛「猪」

▼和気神社・本殿

▼和気神社の日本一の大絵馬 縦8.3m、横12.5m

▼参道前の滝見台から眺めた「犬飼の瀧」

◆新田神社(鹿児島県薩摩川内市)
新田神社は、神亀山(高さ70メートル)の山頂にあり、ニニギノミコトをまつる神社。かつて、薩摩国一の宮として呼ばれた風格を今でも残している。また、隣接している可愛山陵は、神代三山陵の一つにあげられ、明治7年7月にニニギノミコトの墳墓と指定され宮内庁直轄で管理されている。
大正9年(1920年)3月30日・昭和天皇(当時の皇太子)参拝、昭和37年(1962年)今上天皇(当時の皇太子)及び皇后美智子(当時の皇太子妃)参拝、など皇族の参拝は9回にも及んでいる。

▼300段を超える新田神社の参道の石段

▼新田神社・拝殿

▼新田神社・拝殿の彫刻

▼「邇邇芸尊陵」の指定を受けている可愛山陵(えのやまのみささぎ)  
宮内庁直轄で管理されている。

▼可愛山陵(えのやまのみささぎ)の大楠

▼イザナギ河童とイザナミ河童の「河童大明神」

◆天岩戸神社・東本宮 (宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸)
天岩戸神社は岩戸川を挟んで「東本宮」と「西本宮」とが鎮座している。
天岩戸神社・東本宮は天岩戸伝説でお隠れになった天照皇大神が岩戸よりお出ましの際、
思兼尊様が大神様の御手を取り、この東本宮の土地にお鎮まり願ったとされる。
岩戸川の対岸の参拝客の多くが訪れる天岩戸神社西本宮は岩窟(天岩戸)を神体とする遥拝所的性格が強いが、天岩戸神社・東本宮は天照皇大神を祀っている。

▼岩戸川の渓流

▼天岩戸神社・東本宮参道前にて

▼天鈿女命アメノウズメの像が迎えてくれる。

▼天岩戸神社・東本宮参道

▼天岩戸神社・東本宮

▼天岩戸神社・東本宮・社殿

◆天真名井(あまのまない)
ニニギノミコトがご降臨の時、この地に水が無く、天村雲命が再び高天原に上がられ、天真名井の水種を移されたと伝えられており、御神水として信仰されている。
春の高千穂神社、秋のくしふる神社例祭ではお旅所として神輿が安置され、神楽が奉納されている。
宮崎の巨樹百選にも指定された大ケヤキの根元にこんこんと清らかな水が湧き出しており、高千穂峡の「真名井の滝」の水源にもなっているという。

▼宮崎の巨樹百選にも指定されている天真名井の大ケヤキ  
樹齢1300年、幹周6.8m、樹高16m

◆二上神社 (宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町)
日本書紀にいう天孫降臨の槵日二上峯を神体とし社殿には冠帯男形一女形一座を祀る。
御社創建は醍醐天皇昌泰元年(898)と社伝にあり、文献では永正八年(1511)の棟札に「天神七代の末 陰陽之二君 伊弉諾尊 伊弉冉尊の二神を祀り 大檀那大神朝臣兵部大輔右武 藤原左近大夫廉昌 山之伊賀守治次十社宣命左衛門太郎乘吉大神朝臣右武建立也」とある。
本殿は、総ケヤキ造りの三間社流造。

▼二上神社・参道

▼二上神社・拝殿の彫刻

▼二上神社・本殿の彫刻

▼二上神社・本殿の彫刻

◆阿蘇神社 (熊本県阿蘇市一の宮町)
孝霊天皇9年の創建、肥後国一の宮、旧官幣大社。阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ十二神をまつる由緒ある神社で、末社は全国500社を超える。
一の神殿・二の神殿・三の神殿・楼門・神幸門・還御門の6棟は国の重要文化財に指定されている。
また、楼門は鹿嶋市の鹿島神宮、福岡市東区の筥崎宮とともに日本三大楼門の一つに数えられる。

▼「日本三大楼門」の一つの阿蘇神社・楼門

▼阿蘇神社

▼阿蘇神社


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